中国の貿易統計の読み方

正しい議論は正しいデータから始まる。
中国の人民元論争を論じる時に、絶対に必要になるデータは中国の経常収支、つまり貿易の統計数字である。


だが中国の統計数字は信用できないことで有名だ。
たとえば中国のGDP成長率は地方からの報告を足しあわせると、本当のGDP成長率を越えてしまう。
中国の地方の役人は上から与えられた数字を守る為に、嘘の報告をする。そのせいでいい加減な統計ができあがってしまうからだ。


毛沢東政権時代にもこれと似たようなことが起こっている。
当時の地方役人は食糧生産量を実際より遥かに多い「目標数字」通りに報告し、それを真に受けた中央政府が大量の食料を徴発した。
しかし現実には全然食糧がないものだから、当然深刻な飢饉が起こり数千万人が餓死したという.


(参考)
梶ピエールの備忘録。


そして2008年の貿易統計。中国の発表した貿易黒字は2950億ドル。中国と貿易している国が報告した中国からの輸入額の合計が6500億ドル。
この2つの数字は一致しないといけないはずなのに、2倍以上の差が開いてしまったのである。
この数字もまた中国の集めたデタラメな統計の結果なのだろうか?
いや、そうでもないようだ。
エコノミスト誌(The Economist September 5th 2009 P82)では、この差額の原因として以下をあげている。


(1) 中国との貿易は香港を経由している。貿易統計を取る際、輸出した荷物の送り先を特定するのは難しく、逆に輸入品の送り主を特定するのは容易だ。
中国は香港に輸出したつもりでも、実はそれは香港から更に外国に輸出されている。中国はそれを諸外国への輸出に含めず、よって中国は貿易黒字を実際より低く見積もることになる。
逆も同様で外国は香港に輸出したつもりでも、香港から中国へ輸出されている。諸外国はそれを中国への輸出に含めず、よって外国は中国との貿易赤字を実際より高く見積もることになる。


(2) 各国は輸入品は税関で加算された保険料や運送費も含めて計算し、輸出品は税関を通過する前の何も加算されていない値段、FOB(Free on board)で計算している。税関通過前後では5,6%程価格が上がるので、それがそのまま両国の統計差になる。2008年の統計では中国の貿易黒字は税関前後で650億ドルも増えた。


この2つの数字を補正すると、2005年の統計では、中国の貿易黒字は750億ドル多くなり、諸外国の中国との貿易赤字は1600億ドル減少した。
これで3000億ドルの差額は900億ドルにまで縮まった。


それでも900億ドルの差額があるが、これは中国から税金逃れなどのために不正に流出した資金かもしれないし(ただし好景気下の中国人が資本を外に流す動機は少ないと解説している)、よく分からない数字だ。
つまりなお不審な数字は残ったものの、倍以上の虚偽申告があるわけではない。
中国の発表する統計数字は、諸外国の発表する数字と組み合わせて加工すれば使用に耐えるようである。

無意味な国際競争力論議

国の国際競争力を高めて、貿易黒字を出せる強国を目指そう。
そんな意味不明なスローガンを掲げる人は多い。


彼らは貿易黒字がどのようにして生まれるか理解していないのである。
貿易黒字とは、国内の貯蓄率と国内の投資率の差額である。
つまり日本のように不景気で国民が物を買わずお金を貯蓄に回して節約し、企業が設備投資を控えて生産力が下降していると、貯蓄率が上昇し、投資率が下がるので貿易黒字が増加する。


つまり不景気のどん底に沈んだ弱小国でも立派な「貿易黒字を出せる強国」になってしまうのである。
そんなものを目指すことに何の意味もないことは自明であろう。
貿易を論じる際には、この点を理解していないと、とたんに議論は見当はずれなものになる。


中国の貿易黒字を論じる際にも、「このまま中国が貿易黒字を出し続けると、国際競争力の高い強国になる」という論調で議論を展開する人が後を絶たない。
確かに中国の貿易黒字には論じるべき問題が多くあるが、その中に決して「国際競争力」は含まれてはいないのである。


これから人民元論争を勉強しながら紹介しようと思っているのだが、その前にこのことだけはしっかりと述べておきたく思う。

国立西洋美術館「古代ローマ帝国の遺産」

下手な落書きも1000年前のものならありがたがられる。
そんな言葉がある。
どんなつまらないものでも、歴史の重みを加えれば逆に貴重な資料になるということだ。
むしろ、くだらなければ、くだらないほど、数千年前から変わらぬ人の性質を思い起こすことができ、面白みが増す。
そんな古代人の書いた上司の悪口や卑猥な落書きが学術論文で詳細かつ大真面目に分析されていたりする。


先日に鑑賞したローマ帝国の遺産展を見てそんなことを思った。
そこでは火山灰に埋もれたポンペイから掘り出された壁画や日用品、石造を展示しており、大勢の人が熱心に見学していた。
しかし、それらは当時の日用品や少々高価な家具類でしかない。
現在、皿屋のショーウィンドウに人々が列を成すことがあるだろうか?
高級家具専門店に人々が押しかけて熱心に見学するということがあるだろうか?
購入目的ではなく、鑑賞の為に、しかもお金を払ってそれらの店を訪れたいと思う人などはほとんどいないだろう。


確かに古代の物そのものには特有の造形や趣向があり、それらを楽しむことはできる。
だが造形を楽しみたい人ばかりなら、精巧なレプリカを作って展示してもいいはずだ。
古代ローマ帝国の遺産のレプリカ展」だ。
しかしそれでは誰も入場してくれないだろう。
つまりこの展覧会も物そのものではなく、物が持つ過去、物を使っていた人々の精神性を感じることに意義がある。
古代の落書きと同じだ。


何か当たり前過ぎることをグダグダ書いている気がする。



興味を覚えたのは以下の3点。

クレオパトラを倒して帝国を築いた時代の影響なのか、スフィンクスのテーブル脚部などのエジプト風の家具類が目についた。


鉛の水道管やフィルターもあった。進んだ水道設備で有名なローマ帝国だが、溶けた鉛で中毒を起こした人は多かったのではないかと思われる。


それと壁画に描かれた無意味な生首。
ヨーロッパにやたら多い、意味もなく壁や柱や天井のあちらこちらに置かれた生首の置物。その伝統が既にローマ時代に始まっていたことを知った。

東京藝術大学「異界の風景」

昨日 散歩していたところ目に付き、閉館直前の東京藝術大学異界の風景」展へふらりと入場した。


そこで印象に残ったのは以下の作品。


保科豊巳氏の「炎上する記憶


バキバキという音が聞こえたかと思うと、会場の中に唐突に木造の小屋が建っている。
この音は小屋の中から発せられているようで、どうやら何かが燃えながら崩れている音のようだ。


まず、その小屋の中に入ると床すれすれの位置まで小さな一つの黄色の電球が吊るしてあるのが見える。
そして、小屋の壁と四隅に配置されたスピーカーから臨場感あふれる「燃える音」が流されていた。


下から照らされる明かりは私の影を天井まで高く伸ばし、何かが周囲で燃えているような錯覚を起こさせる。
そして狭い小屋に響いている木が燃えて折れる音は、炎をまとった天井が今にも自分の上に落ちてくるような恐怖を与える。


ただの音と一つの黄色灯があるだけなのに、まるで自分が本当に今にも崩れ落ちそうな燃え盛る小屋の中にいるような気分だった。
その小屋から出たとき、立ちくらみがして少しの間まっすぐに歩けなかった程だ。


ただ小屋から新鮮な木材の匂いがしたのは興醒めだった。燃える小屋からあのような匂いはしないからだ。
もっとも、それのおかげで完全に「燃える小屋の世界」に連れ去られずに済んだのではあるが。


19世紀ごろの日本の油絵で川沿いの道を歩く武士を描いたものと絶壁に立つイスラム風の城塞を描いた絵も印象深かったが、感想は長くなるので省略。


他に抽象的な版画や絵画もあったが、感想は無し。何も感じなかった。私にはその種の素養がないようだ。


展覧会の最後には日本の芸術教育を考えるというコーナーがあり、その問題意識に賛成した人は黄色の軽い粘土を螺旋階段の上から、螺旋の中央へ落とすという作品?があった。
会場に入った直後、階段を下りている途中にも上からポタポタとその粘土が落ちてきており、その一つが私の頭に当たったりした。
その時はその粘土が何か分からず、私はそれを下に投げ捨てた。


そもそも私は日本の芸術教育の現状をまったく少しも把握していないので賛同も反対もできない。
だから黄色の粘土を自分から投げることはしなかったが、既にあの時に拾った粘土を落としているので実は賛同していることになってしまったようだ。
そういうわけで、日本の美術教育は問題だらけということにしておこう。知らないけど。

NHK高校教育講座「地理」におけるEUユーロ普及の解説に対する疑問

NHKの高校教育講座で「ヨーロッパ(1) 〜EU 統合のゆくえ〜」を見た。
そこではユーロについて以下のように解説していた。


EU加盟国の中にはイギリスやデンマークなどのユーロを導入していない国がある。
その理由は

(1)ヨーロッパの大国の発言力が大きいユーロを導入することにより、国家主権が脅かされるという不安
(2)自国の通貨が安定していて、わざわざユーロに切り替えるメリットがない


だそうである。
しかし昨年の世界的金融不況によりデンマークでは倒産が半年で倍以上に増えた。

不況が深刻化したのは、デンマーク金利が急上昇したことも一因となっています。
金融危機で、経済規模の小さいデンマークの通貨クローネを売って、ユーロなどに投資する動きが強まりました。デンマーク政府はクローネを守るため、不況にもかかわらず、金利を引き上げなければなりませんでした。


そして今、デンマークではユーロを望む声が強くなっているそうだ。
何故ならユーロは安定しているから、もしユーロを導入していたのならば今回のように為替を守るために金利を上げなくて済んだからだ。


……この解説は私のユーロと金利に対する認識と真逆である。
私は今回の金融不況はユーロの欠点をさらけ出したと認識していたからだ。


そもそも景気を上昇させるためには、国ごとには適切な金融政策を行う必要がある。
資金が不足して経済が冷えているのならば金利を低く抑え、加熱しているのならば金利を上げる。
しかしEUはユーロを導入することで自国に最適な金利を自由に設定できなくなった。


だからユーロの金利が有利に働き好況を満喫するスペインと、不利に働いて深刻な失業を生むドイツやフランスなどと明暗が分かれてしまう。
つまりユーロの導入とは、自立的な金融政策を放棄し、自国の未来を運任せのバクチに委ねるような行為なのである。
そして世界不況の今、迅速な金融政策で対応すべき時にユーロ導入国は足枷をはめられて傷口を大きく広げている真っ最中である。
ユーロを導入した国とは、たとえるなら安全装置を捨てた原発である。
一度経済が暴走すれば、もはやそれを自力で止める手段がない。


以上が私のユーロに対する認識である。


そもそもデンマークの失敗は深刻な不況期にも関わらず為替の安定を優先させて金利を上昇させたという致命的な金融政策のミスにある。
ユーロに加入していたか否かは問題ではないと思われる。


金利の管理よりも為替の安定を望むのが間違いなのであり、為替の安定したユーロを選択しても問題は解決しない。
反省すべきは金融政策に失敗したことであり、ユーロを選択しなかったことではない。
ユーロを導入せずともしっかり金融政策をしていればいいのであり、金融政策を放棄してユーロが偶然自分たちの都合よく働いてくれるのを待つのでは自立した国家とはいえない。
その意味でユーロの導入とはまさに国家の主権を放棄するに等しい行為なのである。


そもそもユーロで為替が安定していると経済が良くなるという根拠が分からない。
その一番大事なところを説明してくれないと、説得力がない。
視聴者として想定してる相手が高校生だから 浅い話で済ませていいとでも考えているのだろうか?