国立西洋美術館「古代ローマ帝国の遺産」

下手な落書きも1000年前のものならありがたがられる。
そんな言葉がある。
どんなつまらないものでも、歴史の重みを加えれば逆に貴重な資料になるということだ。
むしろ、くだらなければ、くだらないほど、数千年前から変わらぬ人の性質を思い起こすことができ、面白みが増す。
そんな古代人の書いた上司の悪口や卑猥な落書きが学術論文で詳細かつ大真面目に分析されていたりする。


先日に鑑賞したローマ帝国の遺産展を見てそんなことを思った。
そこでは火山灰に埋もれたポンペイから掘り出された壁画や日用品、石造を展示しており、大勢の人が熱心に見学していた。
しかし、それらは当時の日用品や少々高価な家具類でしかない。
現在、皿屋のショーウィンドウに人々が列を成すことがあるだろうか?
高級家具専門店に人々が押しかけて熱心に見学するということがあるだろうか?
購入目的ではなく、鑑賞の為に、しかもお金を払ってそれらの店を訪れたいと思う人などはほとんどいないだろう。


確かに古代の物そのものには特有の造形や趣向があり、それらを楽しむことはできる。
だが造形を楽しみたい人ばかりなら、精巧なレプリカを作って展示してもいいはずだ。
古代ローマ帝国の遺産のレプリカ展」だ。
しかしそれでは誰も入場してくれないだろう。
つまりこの展覧会も物そのものではなく、物が持つ過去、物を使っていた人々の精神性を感じることに意義がある。
古代の落書きと同じだ。


何か当たり前過ぎることをグダグダ書いている気がする。



興味を覚えたのは以下の3点。

クレオパトラを倒して帝国を築いた時代の影響なのか、スフィンクスのテーブル脚部などのエジプト風の家具類が目についた。


鉛の水道管やフィルターもあった。進んだ水道設備で有名なローマ帝国だが、溶けた鉛で中毒を起こした人は多かったのではないかと思われる。


それと壁画に描かれた無意味な生首。
ヨーロッパにやたら多い、意味もなく壁や柱や天井のあちらこちらに置かれた生首の置物。その伝統が既にローマ時代に始まっていたことを知った。