日本ゲーム業界の悲しみ

ゲームには二つの側面がある。
一つは文化であり、一つはビジネスである。


ゲームについて議論する時はこの2つを分けて考えないと、混乱を招く。


そしてビジネスとしての議論は結論が既に決まっている。
勝者、欧米ゲーム業界。
強者、XBOX360
巨大な市場規模と巧妙な販売網を持った欧米市場。
その市場で優位を勝ち取ったXBOX360は潤沢な資本力と圧倒的な技術開発力を得て他の追随を許さない勢いを見せている。


日本の常識とは正反対の結論に驚き、怒る人もいるかもしれない。
日本ではXBOX360の弱者っぷりをからかう論調の方が多いからだ。


DSとPS3がゲーム世界の頂点を競っているようなイメージを持っている人も多いだろう。
だが負け犬市場の日本で頂点に立ってもビジネス的には失敗なのである。


そして負けた理由は簡単だ。
日本がデフレを15年以上放置して不景気を長引かせ、日本のゲーム市場を著しく縮小させたこと。
これに尽きる。
市場が小さいから、売上げも小さい。だから資本も開発力も少ない。
安く人を使うことしかできないから、人材も育たない。
リスクを背負えないから過去の続編ばかり増えて、新作が生まれにくい。


つまり日本のゲーム文化が劣っていたからという理由などではなく、ゲームの面白さとは直接に関係がないところでつまづいたわけである。


そしてビジネス的な正解も既に決まっている。


外市場に展開すること。


それが最良の答えである。(次点はニッチな日本市場を占有する。)
少なくとも今後しばらくは国内市場が拡大することはないので、儲けるためには海外市場で売れる作品を作らないといけない。
だからビジネスの視点から見ると日本文化的なゲームは悪で、西洋文化的なゲームは善となる。


これを文化の視点から捕えて「日本文化は欧米より劣っており、だから日本人はダメなのだ。我々は意識改革をすべきだ」などと考えるのは間違いなわけである。


文化や娯楽産業というのは市場が国内に閉じる傾向がある。
たとえば日本映画は日本人だけが好み、インド映画はインド人だけが好む。


一部の好事家が熱心に鑑賞したり、日本でのインド映画ブームのように一時的な流行になることはあるが、その国の国民が愛するのと同じように愛されたりはしない。
ハリウッド映画は規模が巨大でアメリカ以外の市場も大きいが、やはりアメリカ国内での需要が最も多く、私たちはアメリカ人が愛するほどハリウッド映画を愛してはいない。


文化とは、それと共に生きてきた人々にこそ愛されるものなのである。
だから「国内で愛されること」。それが文化的な成功であると言える。


ゲームも映画と同じだ。
昔から日本人が愛するゲームは日本国内だけで売れていた。
例外はマリオとか一部の超有名ソフトだけだった。
あのドラクエでさえ海外では相手にされたことがない。
日本市場が大きい頃はそれで何の問題もなかった。
かつて文化的な正解はビジネス的な正解でもあった。


だが今はこの2つは分離している。
たとえば日本のRPGは当然、日本ではよく売れる。
ドラクエやテイルズ、FFといったRPGは日本人に愛される立派な日本の文化だ。
だがメーカーはそれに満足していない。日本で人気があっても利益にはならないからだ。
だから彼らはそれらを海外で売ろうと努力している。
しかし日本のRPGは独自色が強く、海外では不評だ。日本のRPG、通称JRPGは常に嘲笑をもって発音される不愉快な単語になっている。


日本で人気のあるゲームも海外ではボロクソにけなされることがある。
たとえばべヨネッタという国内で人気のあるアクションゲームがある。
私も好きなゲームだが、アメリカ暮らしの長い知人には「ださいクソゲー」と切って捨てられた。
どこがダメなのか問うと、


ださい奴に、そいつのどこがイモなのか説明してやっても無駄だろ?
ださい奴はそれを理解する能力がないからこそ、一年中ださい奴をやっていられるわけだから。
このべヨネッタも同じだね。これをクールだと思っているカマ野郎に、てめぇのどこがカマ臭くてしょうがねぇのか説明するほど俺もヒマじゃないわけ。
分かったか?オカマさんよ?


などと言われて、私はさんざんバカにされた。
(ちなみに彼はカマ野郎というのを意味のない罵倒語として使っているだけで、同性愛者を嫌悪しているわけでない。まぁ、別に彼を擁護してやる筋合いはないのだけれど)
ビジネスで負けただけなのに、文化的劣等生扱いだ。
この一例で私は文化の嗜好を越えることの困難さを痛感した。


これから先、日本的なゲームは上のような海外からの侮辱的な批評に耐え忍びながら、その市場に参入しないといけないのである。
大変そうで同情する。