東京藝術大学「異界の風景」

昨日 散歩していたところ目に付き、閉館直前の東京藝術大学異界の風景」展へふらりと入場した。


そこで印象に残ったのは以下の作品。


保科豊巳氏の「炎上する記憶


バキバキという音が聞こえたかと思うと、会場の中に唐突に木造の小屋が建っている。
この音は小屋の中から発せられているようで、どうやら何かが燃えながら崩れている音のようだ。


まず、その小屋の中に入ると床すれすれの位置まで小さな一つの黄色の電球が吊るしてあるのが見える。
そして、小屋の壁と四隅に配置されたスピーカーから臨場感あふれる「燃える音」が流されていた。


下から照らされる明かりは私の影を天井まで高く伸ばし、何かが周囲で燃えているような錯覚を起こさせる。
そして狭い小屋に響いている木が燃えて折れる音は、炎をまとった天井が今にも自分の上に落ちてくるような恐怖を与える。


ただの音と一つの黄色灯があるだけなのに、まるで自分が本当に今にも崩れ落ちそうな燃え盛る小屋の中にいるような気分だった。
その小屋から出たとき、立ちくらみがして少しの間まっすぐに歩けなかった程だ。


ただ小屋から新鮮な木材の匂いがしたのは興醒めだった。燃える小屋からあのような匂いはしないからだ。
もっとも、それのおかげで完全に「燃える小屋の世界」に連れ去られずに済んだのではあるが。


19世紀ごろの日本の油絵で川沿いの道を歩く武士を描いたものと絶壁に立つイスラム風の城塞を描いた絵も印象深かったが、感想は長くなるので省略。


他に抽象的な版画や絵画もあったが、感想は無し。何も感じなかった。私にはその種の素養がないようだ。


展覧会の最後には日本の芸術教育を考えるというコーナーがあり、その問題意識に賛成した人は黄色の軽い粘土を螺旋階段の上から、螺旋の中央へ落とすという作品?があった。
会場に入った直後、階段を下りている途中にも上からポタポタとその粘土が落ちてきており、その一つが私の頭に当たったりした。
その時はその粘土が何か分からず、私はそれを下に投げ捨てた。


そもそも私は日本の芸術教育の現状をまったく少しも把握していないので賛同も反対もできない。
だから黄色の粘土を自分から投げることはしなかったが、既にあの時に拾った粘土を落としているので実は賛同していることになってしまったようだ。
そういうわけで、日本の美術教育は問題だらけということにしておこう。知らないけど。