友は消えて

私が高校生だった頃、
クラスの友人にバカな奴がいて、
別の学校の女子に恋慕して、
奴は その娘の通学に使っている駅で
その娘が改札口を通る一瞬を見るためだけに
毎日1時間から3時間くらいベンチに座ってその時を待ち続けていた。


私が高校生だった頃、
私はバカな野郎で、
奴に待ち時間がヒマだから付き合えと言われて
私は好きでもない娘が改札口を通る一瞬を見るためだけに
毎日1時間から3時間くらいベンチに座って
奴のどうでもいい恋愛話を聞かされ続けた。


奴の話を聞き続けたせいで私の頭は奴についての無駄知識で一杯になってしまった。
今も昔も恋愛にまるで興味がない私は、いつもうんざり顔で応対して
そんな私に対して奴は「お前も人を好きになれば分かる」と陳腐なセリフを吐いたものだった。
この愚行は奴が失恋するまでの半年間も続いた。


失恋してからしばらくの間、奴はすさまじい落胆振りを示したが、
やがて何事もなかったように立ち直り、
その後 私は奴とケンカして会わなくなった。


そして9年前、奴は就職活動に失敗して自殺した。
通夜の席で久しぶりに再会した奴の顔は青白く、赤い亀裂が眉間から頬にかけて走っていた。
有名な大学の学生だったので奴の自殺は新聞記事にもなった。


見なければいいのに、私は掲示板で語られる奴の自殺についての発言を読んでしまった。


「挫折を知らないエリートは精神が弱いからすぐに自殺する」


なぜ奴が挫折を知らないと思う?
奴は夢を持っていて、それに挑戦したが適わなかったことがあった。
それでも奴は立ち直り、そして次の目標に向かって努力を始めていたぞ。


「頭が良くても就職できないなんて死にたくもなるよ」


なぜ奴が秀才だと思う。奴は大バカ野郎だぞ。
奴は手にカッターを持ったまま頭がかゆくなってかいていたら、
いつの間にかカッターで頭をガリガリひっかいていて、
血をダラダラ流しながら歩いていたこともあるんだぞ。


批難する人間も、擁護する人間も、奴のことを知らないで、
脳内で架空の人物を作り上げて、そいつについて語っている。


悪意の人物が無責任な誹謗中傷をしているだけならば、私はもっと救われただろう。
私はこの世に善人も悪人もいることを知っている。悪人だけを見て、それで人間に対して絶望することはない。
だが奴については悪人も善人も、奴を知らないまま、奴について語っていた。
私は失望した。


それ以来、私は人に褒められたいとか、好かれたいとか思わなくなった。
誰かが私のことを褒めたとしても、それは彼らが脳内に作り上げた私の姿をした別人を褒めているに過ぎないのだから。
つまり私は他人に何も期待しなくなったのである。


それから私は、奴を殺した不景気というものについて調べるためにマクロ経済学の勉強を始めた。
仲間を傷つけたものを許さないというのがあの頃の私たちの規則だったから、私は不景気に復讐しないといけない。


そして奴のことを知りもしないで誰も彼もが奴について語っていたように、今は若者や失業者について知りもしないのにいい加減な分析をしている発言があふれている。
だから私の失望は今も続いている。


奴は言った。お前も人を好きになれば分かる、と。
奴には悪いけれども、いまだにその気持ちは分からないでいる。