肉片を見つける

肉片が落ちていたのである。


私はとうとう幻覚を見るようになったのだろうか。
今夜、出先から帰宅途中、道の端に置かれた看板の下に、
黒と白の毛が生えた、血のついた肉片があるのを見つけた。


意味が分からなかった。
唐突にそれがあった。
自分が見ているものを理解するのに時間が必要だった。


それは生きている動物の表面からえぐり取ったかのような
毛皮つきの肉塊だった。
人間の物には見えなかった。
白黒の犬を車に投げつけてバラバラにすれば、その一部はきっとこんな肉片になるだろう。
だが、周囲には血痕も事故の跡もない。
それなのに、そういうふうに見える物が何故か道に置いてあったのだ。


肉食動物が獲物を一口で食い殺した時、血が飛び散ることもなく、ただ肉片の一部だけが落ちるのを見たことがある。
それを思い出して、私は逃げるようにその場を去った。


まるで意味が分からない。

そろそろ

わぁ、すごい。
借金がみるみる増えていく♪


というわけで、
昨年もいろいろあって借金が2200万円に増えました。
働けど、働けどわが暮らし楽にならざる。
笑える話です。笑ってやってください。


列車事故にあったいとこの手術費は結局420万円かかりました。
意識不明の植物状態なので、これからもお金がかかりそうです。
いとこのお父さんは昨年に失業して、無一文になりました。
金がないのは首がないのと同じです。
私はいとこの首をなくしたくないので、金策に走っています。


私の姉は昔、JALの客室乗務員をやっており、我が家ではJAL株を300万円分保有していました。
最近、何故かそれがただの紙切れになりました。


親戚の多くが、失業したり、自殺未遂したり、離婚されたり、行方不明になったり、一族没落の極みです。


最近では女の人と仲良くなるのもメンドウになって、
女性と知り合ったときの開口一番の挨拶が
「はじめまして。二千万円の借金がある●●です」になりました。
結婚を視野に入れて交際相手を求めている女性はこれで一掃されます。


自分と親戚で手がふさがっているので、これ以上荷物は増やせません。
人との付き合いは仕事関係以外は一切しなくなりました。
ここ2年間、他人との会話では敬語しか使っていません。


勉強だけが今の楽しみです。
と言いますか、唯一の現実逃避の手段です。
経済学についても勉強をしていますので、そろそろ勉強成果をここにまとめたいと思います。

いとこが意識不明の重体になる

いとこが昨年の暮れに列車にはねられた。


現在の彼は脳挫傷で意識不明の重体。
自殺か事故かは不明。
彼の意識がまだ戻らないので確認のしようがない。


そして悪いことに彼は健康保険にも国民保険にも入っていなかったそうだ。
集中治療室、数回に渡る大手術、生命維持にかかる費用、病院の部屋代。
数千万円の費用が必要になる。


それなのに、昨年おじさんは会社を解雇されている。
彼らには収入がない。
いとこの家族たちは自分一人を支えるので精一杯だ。


親族たる私たちは、支えるべき家族を逆に苦境へ追いやった彼の愚かさを一通り批難し尽くした。
そして私たちは彼に改めて説教してやるために、彼には意識を回復してもらうことにした。
だから私たちは何とかして金を工面しなくてはいけない。


とりあえず私は自分の貯金から50万円を降ろして、おじさんに渡した。
私も2,000万円の借金を抱える身であり、現在の年収も300万円しかない。
今回、なけなしの貯金から年収の6分の1を提出しただけで、私は既に息切れを起こしている。
私の借金の返済が遅くなると、今度は私が色々と危険な状況に追いやられてしまうからだ。
詳細は書けないが、私の知人は友情と商売とは別モノだと考えるタイプの人間なのである。


今回私たちが用意した資金で現在の治療費は払えそうだ。
だが今後に必要な資金にはまるで足らない。


必要な資金を手に入れるためには、リスクの高い方法を選択する必要がある。
いとこの命をかけた博打に差し出す掛け金は、それと等価なものにならざるをえない。


(追記)
いとこは失職する昨年の七月まで保険料を納めていたことが分かった。
数ヶ月分の保険料をさかのぼって支払うことで、高額医療費補助がもらえそうだ。


また手持ちの株を売却することで100万円弱の手持ちができた。
下手な賭けを打たないでも、私たちはまだまだ十分に戦える。

日本ゲーム業界の悲しみ

ゲームには二つの側面がある。
一つは文化であり、一つはビジネスである。


ゲームについて議論する時はこの2つを分けて考えないと、混乱を招く。


そしてビジネスとしての議論は結論が既に決まっている。
勝者、欧米ゲーム業界。
強者、XBOX360
巨大な市場規模と巧妙な販売網を持った欧米市場。
その市場で優位を勝ち取ったXBOX360は潤沢な資本力と圧倒的な技術開発力を得て他の追随を許さない勢いを見せている。


日本の常識とは正反対の結論に驚き、怒る人もいるかもしれない。
日本ではXBOX360の弱者っぷりをからかう論調の方が多いからだ。


DSとPS3がゲーム世界の頂点を競っているようなイメージを持っている人も多いだろう。
だが負け犬市場の日本で頂点に立ってもビジネス的には失敗なのである。


そして負けた理由は簡単だ。
日本がデフレを15年以上放置して不景気を長引かせ、日本のゲーム市場を著しく縮小させたこと。
これに尽きる。
市場が小さいから、売上げも小さい。だから資本も開発力も少ない。
安く人を使うことしかできないから、人材も育たない。
リスクを背負えないから過去の続編ばかり増えて、新作が生まれにくい。


つまり日本のゲーム文化が劣っていたからという理由などではなく、ゲームの面白さとは直接に関係がないところでつまづいたわけである。


そしてビジネス的な正解も既に決まっている。


外市場に展開すること。


それが最良の答えである。(次点はニッチな日本市場を占有する。)
少なくとも今後しばらくは国内市場が拡大することはないので、儲けるためには海外市場で売れる作品を作らないといけない。
だからビジネスの視点から見ると日本文化的なゲームは悪で、西洋文化的なゲームは善となる。


これを文化の視点から捕えて「日本文化は欧米より劣っており、だから日本人はダメなのだ。我々は意識改革をすべきだ」などと考えるのは間違いなわけである。


文化や娯楽産業というのは市場が国内に閉じる傾向がある。
たとえば日本映画は日本人だけが好み、インド映画はインド人だけが好む。


一部の好事家が熱心に鑑賞したり、日本でのインド映画ブームのように一時的な流行になることはあるが、その国の国民が愛するのと同じように愛されたりはしない。
ハリウッド映画は規模が巨大でアメリカ以外の市場も大きいが、やはりアメリカ国内での需要が最も多く、私たちはアメリカ人が愛するほどハリウッド映画を愛してはいない。


文化とは、それと共に生きてきた人々にこそ愛されるものなのである。
だから「国内で愛されること」。それが文化的な成功であると言える。


ゲームも映画と同じだ。
昔から日本人が愛するゲームは日本国内だけで売れていた。
例外はマリオとか一部の超有名ソフトだけだった。
あのドラクエでさえ海外では相手にされたことがない。
日本市場が大きい頃はそれで何の問題もなかった。
かつて文化的な正解はビジネス的な正解でもあった。


だが今はこの2つは分離している。
たとえば日本のRPGは当然、日本ではよく売れる。
ドラクエやテイルズ、FFといったRPGは日本人に愛される立派な日本の文化だ。
だがメーカーはそれに満足していない。日本で人気があっても利益にはならないからだ。
だから彼らはそれらを海外で売ろうと努力している。
しかし日本のRPGは独自色が強く、海外では不評だ。日本のRPG、通称JRPGは常に嘲笑をもって発音される不愉快な単語になっている。


日本で人気のあるゲームも海外ではボロクソにけなされることがある。
たとえばべヨネッタという国内で人気のあるアクションゲームがある。
私も好きなゲームだが、アメリカ暮らしの長い知人には「ださいクソゲー」と切って捨てられた。
どこがダメなのか問うと、


ださい奴に、そいつのどこがイモなのか説明してやっても無駄だろ?
ださい奴はそれを理解する能力がないからこそ、一年中ださい奴をやっていられるわけだから。
このべヨネッタも同じだね。これをクールだと思っているカマ野郎に、てめぇのどこがカマ臭くてしょうがねぇのか説明するほど俺もヒマじゃないわけ。
分かったか?オカマさんよ?


などと言われて、私はさんざんバカにされた。
(ちなみに彼はカマ野郎というのを意味のない罵倒語として使っているだけで、同性愛者を嫌悪しているわけでない。まぁ、別に彼を擁護してやる筋合いはないのだけれど)
ビジネスで負けただけなのに、文化的劣等生扱いだ。
この一例で私は文化の嗜好を越えることの困難さを痛感した。


これから先、日本的なゲームは上のような海外からの侮辱的な批評に耐え忍びながら、その市場に参入しないといけないのである。
大変そうで同情する。

友は消えて

私が高校生だった頃、
クラスの友人にバカな奴がいて、
別の学校の女子に恋慕して、
奴は その娘の通学に使っている駅で
その娘が改札口を通る一瞬を見るためだけに
毎日1時間から3時間くらいベンチに座ってその時を待ち続けていた。


私が高校生だった頃、
私はバカな野郎で、
奴に待ち時間がヒマだから付き合えと言われて
私は好きでもない娘が改札口を通る一瞬を見るためだけに
毎日1時間から3時間くらいベンチに座って
奴のどうでもいい恋愛話を聞かされ続けた。


奴の話を聞き続けたせいで私の頭は奴についての無駄知識で一杯になってしまった。
今も昔も恋愛にまるで興味がない私は、いつもうんざり顔で応対して
そんな私に対して奴は「お前も人を好きになれば分かる」と陳腐なセリフを吐いたものだった。
この愚行は奴が失恋するまでの半年間も続いた。


失恋してからしばらくの間、奴はすさまじい落胆振りを示したが、
やがて何事もなかったように立ち直り、
その後 私は奴とケンカして会わなくなった。


そして9年前、奴は就職活動に失敗して自殺した。
通夜の席で久しぶりに再会した奴の顔は青白く、赤い亀裂が眉間から頬にかけて走っていた。
有名な大学の学生だったので奴の自殺は新聞記事にもなった。


見なければいいのに、私は掲示板で語られる奴の自殺についての発言を読んでしまった。


「挫折を知らないエリートは精神が弱いからすぐに自殺する」


なぜ奴が挫折を知らないと思う?
奴は夢を持っていて、それに挑戦したが適わなかったことがあった。
それでも奴は立ち直り、そして次の目標に向かって努力を始めていたぞ。


「頭が良くても就職できないなんて死にたくもなるよ」


なぜ奴が秀才だと思う。奴は大バカ野郎だぞ。
奴は手にカッターを持ったまま頭がかゆくなってかいていたら、
いつの間にかカッターで頭をガリガリひっかいていて、
血をダラダラ流しながら歩いていたこともあるんだぞ。


批難する人間も、擁護する人間も、奴のことを知らないで、
脳内で架空の人物を作り上げて、そいつについて語っている。


悪意の人物が無責任な誹謗中傷をしているだけならば、私はもっと救われただろう。
私はこの世に善人も悪人もいることを知っている。悪人だけを見て、それで人間に対して絶望することはない。
だが奴については悪人も善人も、奴を知らないまま、奴について語っていた。
私は失望した。


それ以来、私は人に褒められたいとか、好かれたいとか思わなくなった。
誰かが私のことを褒めたとしても、それは彼らが脳内に作り上げた私の姿をした別人を褒めているに過ぎないのだから。
つまり私は他人に何も期待しなくなったのである。


それから私は、奴を殺した不景気というものについて調べるためにマクロ経済学の勉強を始めた。
仲間を傷つけたものを許さないというのがあの頃の私たちの規則だったから、私は不景気に復讐しないといけない。


そして奴のことを知りもしないで誰も彼もが奴について語っていたように、今は若者や失業者について知りもしないのにいい加減な分析をしている発言があふれている。
だから私の失望は今も続いている。


奴は言った。お前も人を好きになれば分かる、と。
奴には悪いけれども、いまだにその気持ちは分からないでいる。

東京国立博物館「皇室の名宝」展1期

先週の話ではあるが、伊藤若冲の絵があると聞いて東京国立博物館の「皇室の名宝」展1期を見に行った。


http://www.bihana.jp/


若冲の絵は面白い。とにかく圧倒的に面白い。
芸術を理解する感性に乏しい私でも、その娯楽的な愉快さならば理解できる。
若冲の絵は、多種多様な映像や絵画に晒され大抵の刺激に慣れた現代人の私さえをも驚かせる。
当時の人もさぞ驚いたことだろう。


鳳凰の絵や以前に別の展覧会で見たタイル画も良かったが、今回見た鶏や虫、魚介類が群れている絵も実に魅力的だった。
鶏や雀といった平凡な生物の絵が、どうしてあれほど劇的に見えるのだろうか。
緻密に描かれた写実的な描写。意外な静物との組み合わせ。数で圧倒する構図。
平凡な生き物が、まるで異形の存在のような妖しい迫力を持っている。
若冲の絵は妖怪や怪獣が大好きという私のガキっぽい感性にドシドシ入り込んでくる。


私の乏しい語彙と表現力ではこれ以上、若冲の絵の魅力を伝えるのは難しい。
むしろ言葉を重ねるほど、若冲の絵の魅力を削いでいるような気がする。


行った。


見た。


驚いた。


感想はこれで十分なのかもしれない。

開放経済のマクロ経済学基礎(1) 貿易黒字の正体

貯蓄は経済成長の源泉である。
何故なら貯蓄が投資支出に回されることで国内の総生産GDPが上昇するからである。
国全体が貧しくて国民に貯蓄の余裕が少ない国ではいつまで経っても大した投資が行われず、国が発展しない。
国が発展しないから貯蓄も増えず、投資ができないので国が発展しない。そういう負の連鎖が発生する。


歴史を振り返れば現在の経済大国が発展を始める時には、何らかの形での資本の増加「ビッグプッシュ」が存在した。
アメリカでは1840年代のゴールドラッシュとそれに続く鉄道建設ブーム。
日本では1890年代の日清戦争の賠償金による社会資本の充実があった。


今日の日本の発展の基礎が中国から戦争で奪い取った財産で築かれたというのは歴史的に大変おもしろい。
しかしこの事実は「日本人の(平和的な)努力だけで近代化できた」と信じたい日本人にとっても、「日本の発展に中国が貢献した」と信じたくない中国人にとっても不愉快な話であろう。
(もちろん与えられた資本を有効活用した過去の人々の努力と能力は絶賛に値する。だが元手がなければどれだけ努力しても徒労に終わったことであろう。
また賠償金を得た戦勝も日本人の努力の一環と考えるならば、日本人の努力だけで近代化できたと言えなくもない。世知辛い話ではあるが。)


閑話休題
このように国の発展と貯蓄は密接に結びついている。
ではより具体的に一国の貯蓄の数字はどのように決まるのだろうか。
話はいきなり開放経済モデル(外国との貿易を考慮したモデル)から始める。
以下は国内総生産恒等式である。


国内総生産GDP = 消費C - 外国への消費C_f + 投資I - 外国への投資I_f + 政府支出G - 外国への政府支出G_f + 輸出EX  (1)


EXは輸出で、つまり外国が自国の生産物に支払った財である。
また外国の生産物に対して使用された財は国内総生産に含まないので差し引いている。そしてこれが輸入に等しくなる。


輸入IM = C_f + I_f + G_f  (2)


そして ここで貯蓄の定義をしよう。国民貯蓄とは国内総生産から消費や政府支出を除いて残った資本である。


国民貯蓄NS = GDP- C - G  (3)


これと(2)式を(1)式に代入すれば投資と貯蓄と貿易の関係が求まる。


I = ( GDP - C - G ) + ( IM - EX ) = NS + ( IM - EX )  (4)


上の式で、もし貿易がなければ貯蓄はそのまま投資支出に等しい。
その場合 投資が沢山必要とされても、それに比べて貯蓄が不足していれば その分の投資は諦めるしかない。
だから貯蓄率の低い貧しい国はいつまでも貧しくないといけない。
だが貿易があれば、その不足分は外国から借りることができる。
それが上式の2項目の (IM - EX )である。そしてこれは貿易赤字そのものである。
これにより貧しい国にも貿易を通じて発展する可能性が生まれる。現に貿易を通して豊かになった発展途上国はいくらでもある。
一方で独裁政権の誕生や内乱が発生して貿易ができなくなった国は極度の貧困に直面している。
(だからグローバル経済とは貧しい国を豊かにする数少ない手段の一つなのである。欧米や中国の政府や企業の搾取や横暴を批判する人でも、経済学の知識がある人は原則的に貿易そのものの重要性は否定しない。彼らは公正な貿易を主張する。そして貿易で得た富を独占する腐敗した政府とそれに癒着する人びとを批難する。)
次にこの式を少し変形して貿易黒字について考えてみよう。


EX - IM = ( GDP - C - G ) - I = NS - I  (4)’


つまり貿易による利益は国民貯蓄から国内投資を引いた差額に等しくなる。
ではこの数式は具体的にどのような現象となって現実に実現されるのだろうか?



その話に入る前に、少し寄り道をしたい。
一国の貿易での利益が単純に貯蓄と投資の差額で決まると聞くと、たいていの人は納得してくれない。
企業や人々の努力や熱意、創造が魅力的な商品を生み、それが外国人の心も掴み、巨額の貿易黒字を挙げる。
日本の誇る大企業、松下やソニーもそうやって発展した。
それを単に努力とも創造とも無関係な貯蓄と投資の差額で説明できるのか?多くの人はそう思うようだ。


だが、この誤解は企業の利益と国の経常収支を比例関係にあると考えるから起こる間違いである。
そして物が売れるということは物を買う人がいて初めて成立する話であるということも忘れてはいけない重要なことだ。
企業が最大限に努力し、創造性を発揮して魅力的な商品を作ればその企業は売上げを伸ばす。黒字になるだろう。
しかし一方で外国が購入できる量には限りがある。外国はその企業の魅力的な商品を買った分だけ他の商品を買うのを控える。
結果的に他の企業の利益が減ることで、一国の貿易による収支はプラスマイナスゼロで変わらない。
だから努力と創造は個人や企業を益するが、国の貿易黒字には貢献しない。
(また国民の努力と創造は国の将来の成長率を引き上げる。しかしそれも貿易黒字とは関係ないのである)



閑話休題
では現実の貿易黒字(赤字)がどのように発生するかを見てみよう。
貿易とは財と貨幣の流入と流失を意味する。
つまり世界には買いたいのにお金が足りない人と、買いたい物がなくお金が余っている人がいる。
それが貿易が必要とされる原因だ。お金の足りない人が余っている人から借りて物を買うための仕組みが貿易なのだから。


つまり投資を上回った貯蓄は外国人に貸し出される。一方で貯蓄が投資より少ない国は不足分を外国から借りないといけない。
たとえば上の貸し借りは、貯蓄の余った国が足りない国の発行する債務を購入することで実現される。
そんなに都合よく債務の売買が成立するのは何故だろうか。その仕組みは簡単だ。
貯蓄の余っている国は金利が低く、逆に足りない国は金利が高くなっているので、人びとが目先の利益を追いかけると自動的に債務の売買が成立するようになっている。
こうして新たに資本を得た国は その資本で外国から財やサービスを購入し、資本を貸し付けた国に貿易黒字が発生する。
(ちなみに このとき資本を貸し付けた国の通貨は安くなっているので、輸出が増えやすくなっている。)


それならば日本が魅力的な商品をどんどん作れば、外国が金を借りまくってその製品を購入して貿易黒字が増えるのではないか?
そう思う人もいるかもしれない。
だが日本の製品を買うには日本円を用意しないといけない。買い手が外国通貨を円に替えたり、売り手が外国貨幣で受け取り決済時に日本円に両替する。
(たとえば某大企業は円高になってからドルで受け取った商品代を両替しないで保有している。だがこの企業も決済時にはそれらを円にしないといけない)
いずれにせよ日本が売る物は最終的に日本円と交換される。
だから外国が日本の物を買うためには日本円が必要になるのだが、日本円は無限に存在するわけではない。
存在する円とは日本国内で投資に使い切れなかった円であり、それはまさに「貯蓄マイナス投資」そのものである。


だから大人気の日本製品があれば、諸外国はまずこぞって円を手に入れようと競争する。
「俺は100円あたり1ドルで購入するぞ!」
「それなら俺は100円を2ドルで買う!」
そうやって手に入れた円で外国はその大人気の日本製品を購入する。
その結果円高が進行していくが、1ドルで売れようと2ドルで売れようと100円は100円だ。
外国が手に入れられる円とは「貯蓄マイナス投資」であり、日本の貿易黒字はそれ以上に増えたりしないのである。


(参考)
無意味な国際競争力論議 - 紙の家の記録