善良なる差別主義者たち

韓国人や中国人のことを人間性が劣った人種だと信じている人が少なからずいる。
そして良識人は彼らのことを精神の愚劣な人種差別主義者だと蔑んでいる。


だが、彼らは本当に愚劣な人種差別主義者なのだろうか?
私はそうは思わない。
確かに直情的で冷静な判断に欠けるところはあるが、彼らは驚く程「真面目で、謙虚で、誠実で、正直で、上品で、礼儀正しく、柔軟で、素直な人間」である。
そして彼らは「横柄で、傲慢で、不誠実で、卑怯で、嘘つきで、下品で、礼儀知らずで、乱暴で、頑固で、愚かな人間」を憎んでいる。
問題なのは、彼らが上のような人間と「韓国人」「中国人」を同意語だと信じている点にあるのだ。


一方で韓国や中国にも日本人のことを人間性が劣った人種だと信じている人が少なからずいる。
それで私は実際にそんな韓国人や中国人と知り合いになる機会が多いのだが、彼らと仲良くなると私は「日本人なのに良い奴だ」という変な褒め言葉をもらう。
つまり、彼らが嫌いなのは「横柄で、傲慢で、不誠実で、卑怯で、嘘つきで、下品で、礼儀知らずで、乱暴で、頑固で、愚かな人間」なのである。
そして問題なのは、彼らが上のような人間と「日本人」を同意語だと信じている点にある。
だからそれに当てはまらない日本人を見ると本気で驚くようだ。


日本の差別主義者だって、実際に韓国人や中国人の知り合いが増えれば、「真面目で、謙虚で、誠実で、正直で、上品で、礼儀正しく、柔軟で、素直な韓国人や中国人」も大勢いることにすぐに気がつくことだろう。
マトモな奴も変な奴も沢山いる。それは日本でも、韓国でも、中国でも同じことだ。
(確かに契約の概念のない中国人の商売のやり方や、日本人と見ると必ず一度は屈服させないと気が済まない韓国人にイライラさせられることはあるが、その程度の文化摩擦を経験したくらいで差別主義者になるようでは人間が小さいとしか言いようがない。)


思うに彼らは新聞やネットでしか、その国のことを知らないからそうなるのだ。
日本の差別主義者は韓国人、中国人の犯した変な事件や発言のニュースばかり見ているせいで、あの国の連中は信用ならんと結論づけるのではなかろうか。
しかし逆に考えてみたい。日本国内で起きている変な事件やイカレタ発言ばかりを集めて海外に紹介したら、どうなるだろうか?
外国人は日本人は品性下劣な変態民族だと思い込むかもしれない。
私たちは日本国内で日本人が信じられない卑劣な行動をしても、「なんて日本人は酷い奴だ!」などとは思わない。
「なんてこいつは酷い奴だ!」と憤り、あくまでもその犯罪をした個人を非難する。
それなのに外国で事件が起きると、その国の人間全体が同じ精神構造を持っているような錯覚を覚え、その民族そのものを非難する。


だがニュースになる事件というのは、その国の人間から見ても「変だ」と思うところがあるからこそ取り上げられるのである。
誰もが当然と思うことはニュースにはならない。
私たちが中国や韓国の変なニュースを見ているのは、その国でもそれが当たり前ではないからであり、報道されたニュースから一般の人の中身を知ることなどはできないのである。


実際、海外にもニュースを紹介しているサイトはあり、反日的なサイトは日本で起きた変な事件ばかり紹介して、日本人全体を笑い者にしている。
「こんな変なことをする日本人はなんておかしな連中だ!」
日本の反韓、反中的なサイトと内容や発言がそっくりなので、笑えてくる。


ちなみに日本で韓国や中国をバカにする時、「謝罪と賠償を要求するニダ」「もっと金をよこすアル」などと韓国人のアスキーアートにしゃべらせたりしている。それと同じように向こうでは日本人の発言には「ガー」をつけている。
彼らの耳に、日本語は「○○ガー、△△ガー」と聞こえるようだ。
「俺たちは悪くないガー。レイプしても謝罪なんてしないガー」と、こんな感じだ。
また、がーつぁい(ガー仔)と言うと、日本で言うところの「チョン」と同じような意味を持つ。
他民族の言語をバカにして楽しむ下品な連中はどこにでもいるということである。


またネットの住人は猫好きであることも同じようだ。
四年前に私が中国に滞在していた時のことだ。
ネットではある犯人をネット住人が協力して追跡していた。
その犯人とは、猫をハイヒールで潰した写真をアップしていた女性である。
ネットの猫好きたちはこの犯罪に憤り、一致団結して捜査し、写真の背景の風景などから犯人を見つけ出していた。
本当に日本も中国もやってることがそっくりで、互いに罵りあっているのが不思議なくらいだ。


生きている世界が狭いことが、差別感情を増大させている。
それは見聞を少し広めれば、すぐに解消される程度の小さな差別意識でしかない。
だが貧しさは、その少しの見聞さえ与えてくれない。
むしろ貧しさへの不満を慰めるために、差別意識を捨てられないでいる。
貧すれば鈍する。悲しいことである。