中央銀行の役割について

私は現在の日本の不幸の最大の原因は、官僚の腐敗でもなければ、政治の不在でもなく、道徳の衰退でも、家庭の崩壊でも、巨額な財政赤字でも、グローバル経済でもない。その原因の多くは中央銀行による金融政策の失敗にあると考えている。


現在の日本が抱える最大の問題は需要が不足しているという点にある。
需要が不足しているとは、つまり物が売れないということである。


物が売れなければ、給料は減り、失業者は増える。
企業には人を育成する余裕も金もなくなるので、労働者の技術力は低下し、能力給も少なくなる。その減給分を穴埋めするには人々は単純労働の時間を増やすことになり、自主的に技術力を向上させる暇がなくなる。
そして行き着く先は安い給料で過労死寸前まで使役される人生である。
そして設備投資がされないので技術力は低下し、諸外国に遅れをとる。やがては新しい先進国が国内に建てた工場で働くのが日本人の主な役割になる。


金利を上げると失業者が増えるので、金利は低く抑えないといけない。すると利息で運用していた年金は破綻する。
税収も減るので市町村は赤字になり、教育補助や医療補助は削減され、貧乏人は見捨てられる。
失業者の増加は犯罪や自殺を増加させる。
社会の命綱のことごとくが切れていく。


仕事をなくした人間は、自分の可能性に気がつく機会を奪われる。
仕事があれば、そこで才能を伸ばして輝かしい人生を掴めたかもしれない。
もし仕事があれば、築けたはずの人生を彼らは永遠になくしてしまう。


新しい製品を発明し、世界に躍進した人もいたかもしれない。
しかし国内投資が減少した日本で、その機会は失われた。
その人は会社のしがない窓際族として、その生涯を終わらせるだろう。


難問を解決し、新しい理論を生み出し世界の賞賛を浴びた人もいたかもしれない。
しかし教育補助と研究補助費の減少した日本で、その機会は失われた。
その人は居ても居なくてもいいどうでもいい研究者として、その生涯を終わらせるだろう。


優しい伴侶を見つけて、穏やかな人生を過ごした人もいたかもしれない。
しかし養育費など将来に希望を持てない日本で、その機会は失われた。
その人は結婚を諦め、誰も居ない部屋で孤独にゴキブリと一緒に暮らしている。


やりがいのある仕事に熱中し、挑戦に次ぐ挑戦に明け暮れる刺激的な人生を謳歌する人もいたかもしれない。
しかし企業が従業員に好きなことをさせるだけの余裕のない日本で、その機会は失われた。
その人は毎日土日も休まず、破綻したプロジェクトの後始末に奔走し、ついには過労死した。


自分の子供が立派に成長して就職し、毎年夏になると遊びに来る孫を心待ちにしている人もいたかもしれない。
しかし就職率が低下した日本で、その機会は失われた。
彼の息子は就職活動に失敗して自殺した。


私は知っている。幸福になれなかった人々を。
私には見える。彼らにあったかもしれない幸福を。
私は悲しい。これから更に多くの幸福が失われていくことを知っているから。


なぜそんなことになったのか?
その原因は官僚の腐敗でもなければ、政治の不在でもなく、道徳の衰退でも、家庭の崩壊でも、巨額な財政赤字でも、グローバル経済でもない。その原因の多くは中央銀行による金融政策の失敗にあると私は考えている。


少なくとも需要不足とデフレを終わらせるには適切な金融政策を行う必要がある。金融政策の後押しなくしては政治改革も財政改革も効果をまるで発揮しない。
その金融政策を行うべきが中央銀行である。
だが日本の中央銀行がその責任を果たしているかについて議論されることは少なく、その不幸の原因として非難されることもない。
政治家のようにその怠慢を責められる心配もなく、安心して高給と多額の退職金を受け取れる。


私にできることは、中央銀行とは何を目的として行動すべきかをここに書き、一人でも多くの人に中央銀行がその責任を果たしているかどうかを気にしてもらうことだけだ。
無責任のツケを誰も払わないでいられる状況では、誰も何も改善しようとは思わないからだ。


ここではステイグリッツ教授の経済教室から、中央銀行の役割について言及した一節を引用したい。


中央銀行は政府からの独立性を保ち、物価の安定だけに傾注すべきだという主張は、「経済改革」というスローガンの中核になっている。

中央銀行は物価の安定に専念したほうがインフレをうまく抑制できる

しかしインフレの抑制はそれ自体が目的ではない。それは、より高くかつ安定した成長を、より低い失業率で達成するための手段にすぎないのである。


より高くかつ安定した成長とより低い失業率。この実質変数こそが重要なのである。


ジョージ・アカロフとその共同研究者たちは、ゼロより大きい値の最適インフレ率があるという説得力のある説を打ち出している。だとすると、ひたすら物価の安定を追求したのでは、かえって経済成長と人びとの経済的幸福を損なうことになる。


インフレ抑制に専念するというのは、長年インフレが続いている国にとっては理にかなった策だとしても、日本のようにそうでない国の場合は賢明な策ではない。


日本の中央銀行が物価の安定ばかりを優先し、政府もそれを放置している現状では景気回復は遠い。そして日本人の不幸も終わらない。
中央銀行が物価の安定にこだわる理由は前例主義にあるという批判を聞いたことがある。
過去に物価の安定を目標にしていたので、その方針を変えたくないのだという。そんなバカな理由があるものかと信じたくない気持ちだが、ないとは言いきれないのが恐ろしい。


スティグリッツ教授の経済教室―グローバル経済のトピックスを読み解く

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